ソチの女子フィギュア

チオリンピック、女子フィギュアを観た。きちんとライブでフィギュアを観たのは、ここ数年で初めてのこと。団体戦、男子、といつになくていねいに見たように思う。そして一つ一つの演者の演技に対して、得点が発表される前に自分の中で得点を予想する、ということをやってみた。(つまり、先入観なしに自分で評価づけたということ。)この「得点予想」をトップ選手についてだけでなく、出場選手のほとんどについて一通りやってみる(つまり自分の目で見て評価する)と、解説の手助けもあるけれど、出来の善し悪しを評価する《目》が肥えてくるのがわかる。まぁ、長年フィギュアを見続けている人からすると大した《目》ではないかもしれないけど、幅広く見てこそ「凄いもの」がわかる、と思うんだよね。

ちなみに私は、伊藤みどりがどうしてもカテリーナ・ビットに勝てなかった時代にはよくフィギュアを見ていたけれど、その後はちらちらと見ている程度。好んで見るのは、もっぱらバレエ。(と宝塚。)

さて、深夜ふらふらになりながら(笑)女子フィギュアを見た上での結論。

世間の一部が言う「キムヨナ疑惑の採点」はただの言いがかりで、冷静に見れば彼女の滑りは《ほぼ完璧》であり、その得点を色眼鏡で見る人は単に自分の好き嫌いと客観とを混同しているだけだ、と断言しておく。(まぁ、今回は浅田真央のSPがぼろぼろすぎたから、過激な真央信者からのキムヨナ攻撃は少ないけれど…。)言い換えると、「キムヨナが滑ると採点がおかしい」との非難は、昨今の《佐村河内問題》における「全聾の作曲家が作った交響曲なのだから傑作だ」という奇妙な偏見に基づいた断定となんら変わるところがない。
テキストではなくコンテキスト全盛というのは、小保方フィーバーのときにもイヤな気がしたけれど(今は別の意味で注目されちゃってるのが残念)、それがひいては立憲主義を理解しない安倍首相をやたらと持ち上げる人々を生み出してしまった風土なのだなぁ、と自分の中ではいろいろとつながってしまった。

なお、事前に私は《予習》として以下のものを読んでいる。
ぶくぶく
サイゾーの記事

前者は「キムヨナ嫌い」による「問題点のまとめマンガ」としてとても分かりやすかったが、とにかくキムヨナが嫌いなんだな、ということだけはよく伝わってきた(苦笑)。他人を貶めても自分の株が上がるわけではないのに…。

とりわけ冒頭の「表現力や芸術性って項目は実は無い」という主張には首をかしげざるを得ず、むしろきちんと客観的に評価するための仕組みを作っているではないかと言いたくなる。
キムヨナの体の堅さについても触れてるけど、それを言ったらリプニツカヤは異次元の柔らかさを持っているのだから誰よりも高得点をつけるべき、と言うべきだろうけど、そこには触れないんだよね(笑)

後者のリンクは、荒川静香が今年の1月に出した著書でキムヨナと浅田真央とを比較したのを取り上げた記事。「技術のキムヨナ、芸術性の浅田真央と考えるべき」というのが荒川静香の主張のようで、その点についてはとても納得がいった。「トリプルアクセルを飛べる」というのと「(全体的な)技術が高い」というのを多くの人が混同していたんだろうなぁ、と膝を打つ思い。

そもそも、キムヨナの採点がおかしいと主張しているのは一部の日本人くらいで、英文で(たとえばバンクーバーのときの)キムヨナの高得点に疑義を唱える記事やブログがないかググっても見つからない。キムヨナも浅田真央もどちらも人気あるけれど、完成度が高いのはキムヨナの方、ということで英語の世界ではほぼコンセンサスがある。

というわけで、一部に見られる「キムヨナ叩き」は、21世紀に入って言われ始めた「嫌韓」が、ネウヨが顕在化する過程で噴出してきたもののように思え、非常に不快感がある。
なんだかねぇ…「自分のケツの穴の小ささを自慢してんじゃねえよ!」と罵りたくなる。(おっと、ワタクシとしたことが、こんな下品な言葉遣いをするなんて…)

オリンピックは国別の参加ということになっているけれど、選手個人のパフォーマンスはその国籍もサイドストーリーも抜きにして評価する、ということはできないものか…。


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